序章

 どんよりと重い雲が空をおおい、冬の訪れを知らせている。遠くからは、剣戟の音と悲鳴、雄叫びが響き、林の静寂さを消し去っていた。
 斬撃の音に続く絶命の叫びが、寒々しい林をさらに冷たくさせた。
 そんな林の中を、自分の身長よりははるかに長い槍を片手に持った青年が、その体に見合わぬ力で自分よりも背の高い少年を引きずるように引っ張りながら走っていた。
 槍を持つ背の低い青年をイーヴァル、引きずられて走る少年を、リーフという。
 リーフは十六才という歳が示すとおりまだ若い外見で、幼さをその端正な容貌ににじませていた。少年が青年へと変わるその狭間だ。
 対してイーヴァルは、二十歳も間近な十九という年齢にあって、およそその年齢にはみられない童顔だった。
「早く逃げるんだよ、リーフ!」
 イーヴァルが、呆けた顔でうわ言を呟いている少年の腕をぐいぐいと引っ張った。
「父さん、母さん、姉さん……みんな殺されたのに、どうして俺だけ……」
 リーフは、涙を流すことすら忘れていた。ただ、同じことを繰り返し呟くだけだ。
「ハーコン様は、僕にきみを逃がすよう言われてるんだ! ぐずぐずしてたら、〈狂える熊〉のマグヌスがくるんだってば!」
 イーヴァルは、火が出るような目でリーフを睨み、胸倉をつかむ。そして、噛み付くように怒鳴った。
「そんなの知らないよ! どうして父さんが殺されなきゃならないんだよ!」
 手を振り払おうともがきながら、リーフは叫ぶ。
「それがヴィーキングなんだよ。他の町や村なら、どこだってやってることなんだ! いいから早く一緒に逃げるんだ!」
 言うことを聞こうとしないリーフの顔を、思いっきり殴る。骨がぶつかり合う鈍い音と同時に、枯葉の積もった地面に転がった。
「ハーコン様の遺言、聞いただろ? マグヌスを討てって。ハーコン様は、リーフにならできるって、そう信じて言ったんだ!」
 怒鳴り声を聞きつけたのか、それとも偶然か、何人かの足音が近付いてくる。
「くそっ!」
 イーヴァルはそう吐き捨てると、槍を持って駆け出した。
 マグヌスの追っ手が迫ってきたのだ。このままでは確実に追いつかれ、捕らえられてしまう。そうなっては、殺されるのは確実だ。
 戦いが嫌いなイーヴァルとはいえども、この状況はそんなことなど言っていられるものではないのはわかっていた。戦わなければ、目的は果たすことが出来ないのだ。
 絶命の叫びが辺りに響き渡るのは、それからしばらくしてからであった。

     *     *     *

――ロガランド。
 そこは、ミッドガルド最大の王国、デーンの一地方でよく肥えた土地と豊富な材木資源が共存する豊かな地方で、ヴィーキング(略奪行)をせずとも、十分に生活していけるだけの豊かさをもっていた。冬の寒さがそれほど厳しくないのが、その一因かもしれない。
 無論、デーンを形成する土地全てが豊かなわけではない。むしろ、ロガランドのほうが少ないのだ。
 結果、ロガランドは常にヴィーキングの標的となり続けたのだが、防備に関しては十全の準備をしているために、これまでヴィーキングによる被害はさほどのものではなかった。
 平野が主な地域を占めるロガランドではあったが、ヴィーキングを行うための船が行き来できるほどの川が少なかった、というのも、堅守の一因であった。
 水は全て伏流水で流れ、普通の川は数が少ない。
 大きな川が少ないという事は、大軍を率いたヴィーキングがやってこないことを示す。馬や徒歩では、望まれる量の食料を運ぶことはできないし、奴隷を連れ帰ることもままならない。

 対照的に、ロガランドからそう遠くない場所に存在するヘルダランドは違っていた。
 やせて、あまり広くはない土地。大部分が盛りに覆われ、わずかに開けた平野には、人がしがみつくように生活し、そこにすむことは困窮するのがあたりまえだった。
 冬が厳しければ餓死者が出るのも、そう珍しくもない。海に面しているため、漁業はそれなりに発達しているが、それも時化る冬にあっては漁に出ることもままならない。
 そう、ヘルダランドはヴィーキングによってそこに住む人間の生活が成り立つ、典型的なデーンの一地方だった。
 その地方の太守マグヌスは、野心だけが膨れ上がった貪欲な男で、近年はデーンを征服しようと動き始めていた。その動きはさながら、パンに出来たカビのようなもので、瞬く間にあたりの領地を征服していった。
 そして、その戦いが始まって一年後、マグヌスの侵略の手は、とうとう、攻めるに難しいロガランドにまで及んでいた。
 ロガランドは攻め難い土地だが、攻められたら逃れるための川が無いために、逃げるには困難な土地だ。攻め難く逃げ難い。
 ロガランドは、そういう土地だった。