2chの某スレより


そういう意味で、セイギノミカタの理想をもったカラッポの少年の始まりの物語(Fate)でも、
英霊エミヤの理想についての物語(Unlimited blade works)でもなく
衛宮士郎っつー個人の最後を飾るのは、Heavens Feelのルートを持ってこなきゃ駄目だったんだと思うわけよ
それを最後に持ってくる辺のチョイスは、いかにもタイプムーンらしかったと思う

なんと端的に語ってくれたのでしょう。
Fateは平行世界それぞれに存在する衛宮士郎の物語だと思います。
カラッポの少年(Fate)が「取り付かれた理想」に追いつき(URB)、その理想を捨てて自律する(HF)。
だからこそ士郎は、HFの途中、受け継いだアーチャーの腕を使うことで、理想がどういうものなのか理解し、それを踏まえた上でアーチャーを追い越し、理想を振り払ったと思うのです。
士郎がバーサーカーを倒した時、雄雄しく(誇張表現)立っている絵を使ったのもそんな理由からではないかと(そこまで深く考えてるとは思いませんけどね)。
成長を主眼に置いた物語である以上、そこに楽しさだけが存在するわけがない。
士郎は、つらいことも経験しなければならい。
ただ、士郎の場合、今までそのつらいことを長い間ずーっと先延ばしにしてきたため、いっきにツケを払わなければならなくなった。それがセイバーを殺すことではなかったのかと(勝手な思い込み)。
士郎=プレイヤーという視点でいけば、これまで気持ちのいい物語ばかりを楽しんできたことへのしっぺ返しといいますか……作者からの落とし穴といいますか……。
まぁ、そんな話なわけですから、当然、HFは苦い薬であり、それを嫌う人も納得できない人もいるわけで。
必然、桜も嫌われ、叩かれるわけで。
切ないのぅ……。